雑草のようにしぶとくはびこる種々雑多な雑想の日々。
2003年3月の日記(後半)
些細なことがいろいろすれ違って、ぎくしゃく続きの一日でした。
午前中R氏は仕事。 わたしは家で洗濯をちょっとしたりウェブゲームにはまったりしつつぼんやり半日過ごしていました。 空腹感がなかったので朝は食べず、午後R氏と出かけた先でねぎしに行ってもあまり食べる気にならず、麦とろ定食を頼んでご飯1/3くらい残してしまうありさま。 でもまあ、夜には比較的元気を取り戻したのでもう大丈夫です。 たぶん。
午後、猫のトイレ砂など調達に行って、それからヨドバシへ行ってうちの会社用の無線LAN用の部材を調達&会社に置きに行き、そのあとまたちょっとした諍いがあって、帰宅後R氏はどこへともなく外出(買い物に出ていたらしい)、わたしは頭痛がひどかったのと眠かったので寝てしまったのですが、てっきりもう夜9時くらいだと思いこんでいたらずっと早かったようで、しばし寝て目を覚ましてもまだ8時台でした。 どうも身体のリズムもおかしくなっていたみたいです。
仕事はぼちぼち。
最近猫がやたらと吐くので往生しています。 出かけている間などで現場を押さえられない場合も多々あるのですが、どうも豆炭、チビノワあたりっぽいです。 家にいるときに吐かれた場合など、「けくっ、けくっ」とえづき始めるやいなや、練炭とピートが尻尾を立ててすっ飛んでいく(そして一心不乱に後始末を始める……(^^;)のですぐ見つかるんですが、そうでないと思わぬ場所に残骸が残っていたりして、あとで気づいて泣きそうになります。 完全に乾いちゃったらまあダメージ少ないけど、生乾きの残骸を踏み抜いたりした日にはもう……今日はついに寝室のシーツの上に吐かれてたし(;_;)
猫缶の種類が変わったのが原因なのか、季節柄毛玉が溜まるのか、原因もはっきりしないので、あまり続くようなら犯人をちゃんと突き止めて病院へ連れて行かないといけないかもしれません。
朝、長靴の側面に猫の嘔吐の痕跡があり、ゴム長靴で助かった……と思ったら、履き古した靴の中にもかかっていました。 もともとそろそろ廃棄処分予定だった靴ですがなんとなく悲しかったです。 さらに寝室で新しい残骸も発見され、しばらく寝室に猫が入るのを禁止することになりました。 本当に何が原因なのやら。
R氏がうちの会社にADSL開通の下準備に来ました。 もうおおむね準備は整っていて、明日開通予定なのです。 これで某社からのMB単位のデータメールにおびえることもなくなるでしょう。 楽しみ〜
きな臭い気配の続く日々。 気にし始めればきりはなく、考え始めればとめどなく、日々の生活を止めるわけにもいかないので結局見て見ぬ振り、気にならない振りをしてしまいがちです。 っていうか、本当にそれどころじゃない体調と身辺状況なのですけどね。
実家は卒園式です。 卒園者に渡す最後の手紙を仕上げて、チェックしてもらって発行。 よし、あとは明日出す年度内最後の手紙で終わり〜とのんきに構えていたら、「来年度新入生の親に配るプリントが必要だった」と頼まれました。 「いつ配るの?」と聞いたら「いやもう実はちらほら来園してるんでちょっとでも早く欲しい」とのこと。 去年は他の人がワープロで作ってたらしいのですが、ワープロの元データが入手できなかったため打ち直し&冒頭が季節感丸出しの挨拶なのでそのままは使えずあれこれ急いでひねり直し、なんとか間に合わせたものの疲れ果ててよれよれです。 もっと早く言ってほしい……
猫は少しずつ食べさせると吐かないみたいなので、いつもの半量ずつにして回数を増やしてみてます。
2003/03/20 (Thu.) 案の定。と言うべきではないのだけれど。
会社引っ越し後怒濤のように続いていた仕事が一段落してた&ADSL開通完了で電話関係の配線が確定したので書架を固定できるようになったので、書籍関係の段ボールを片づけにかかりました。 黙々と作業して空けた段ボール箱の数は実に12箱。 ちなみに箱自体はまだ残っています(未整理の書類とFD・ビデオ・CD・カセット類などが主)が、書籍がおおむね片づいたことでずいぶん社内が広く見えるようになってきました。 次はオーディオラックを仕入れ&組み立てて、ビデオとCDとカセットを整理しないと……
R氏と時間が合ったので一緒に食事をしてから別れてガラスの教室へ。 作りかけの器の型(前回中子=内側の型をとっていた)の続きをやってから、余った時間でまたアクセサリーパーツのようなものに挑戦しました。 例によって変な……というか基本の作業手順から大きく外れる原型だったので、石膏をどうかけるかで手間取ったり、石膏の溶き方をしくじったり、勢いよく流し込みすぎて原型を倒してしまったり、大騒ぎでした。
それにしても、花器や食器など大きめのものや、蓋付き小箱のようなちょっと込み入った造りのものにも興味はあるんですが、なんだかんだで今のところ自分はちまちましたものをいじくっている方が性に合ってるみたいです。 しばらくは小さなパーツ類をメインで作って、たまにちょっと大きめのものや込み入ったものにも挑戦しつつ、いろいろ試してみようと思います。
教室の帰り、寒い中をストール1枚で歩いていたら風邪気味になってしまったようです。 R氏がH氏とお茶に出かけて行きましたが、体調悪化させては週末大変なのでパスして家で寝込んでいました。
……ついに始まってしまった米英・イラク戦争。 何か日記に記しておこう、おかなくちゃと思っても考えがまとまりません。 今さらのように言うならば「戦争反対」くらいでしょうか。 普段どんなに馬鹿マンガや鬼畜マンガを喜んでいたって、たとえ自分自身に直接弾薬が降り注ぐ状況ではないと(今のところは)わかっていたって、それとこれとは話が別。 各国の政治的、あるいはその他の力関係、歴史的要因、自分の暮らすこの国の置かれている立場、そういったことは無視できないことなのでしょうけれどもそれも話は別。 でも、「戦争反対」といくら言ったところで結局戦争は起きてしまい、人は死んでいくのですが。 そしていつか自分も戦争に巻き込まれて死ぬのかもしれないのですが。 ……う〜、やっぱり考えがまとまらない。
あ、結局のところ一番感じているのは、テロのときに日記に書いた「亡くなられた方々の冥福を祈るとともに、生きている人がむやみに死んでしまわないようにも祈ってます。祈ってもなんにもならないとわかっていますけど。」ってことに尽きるような気がしてきた。
2003/03/21 (Fri.) そして日々の生活は続く。
先週以来因縁のお店にブランチに行きました。 クレープとガレットのお店なのですが、ラタトゥイユ入りのプロバンス風ガレットと、胡桃とカラメルソースのクレープを頂きました。 念願かなって幸せ&とても美味しかったのでさらに幸せでした。
夕方までそんな調子でのんびり過ごし、「明日はお墓参りに行って、そのあと翌日の用意などして、明後日は結婚式だよね」などとのんきに構えていたのですが。 夕方というか夜になってたむ男氏から入った1本の電話で大間違いが判明。 結婚式は明後日ではなく明日だったのです(諸悪の根元は「23日の土曜日」とうろ覚えていた上に、「土曜は22日だよ」と言われたときに「じゃあ23日の日曜日だよ」と確認もせず思いこんだわたしです)。
それからはもう大騒ぎ。 お墓参りの日程はなんとかずらしてもらえましたが、R氏が土曜に片づけようと思っていた仕事絡みの約束は全部ひっくり返り、2次会の仮装の用意も急いで揃える羽目になり、さすがのR氏も切れかけ、対するわたしは(自分が悪いんだけど)体調が微妙なこともあって逆切れし、なんだかすごい状態で明日の準備をしてました。
2003/03/22 (Sat.) 疲れたけど楽しかった〜。
OKWのasa氏と、人形の洋服屋さんの琴音氏の結婚式に参列してきました。 朝早めに起きてシャワーを浴び、着替え&メイク&髪を整えたり荷物を確認して詰め直したり。 花粉症のせいか、ストレスか、どうも最近頬がかゆくてファンデーションを使えないので、フルメイクはあきらめて目元&口&眉をうっすら整えるだけにしておくことにしました。 着ていくものは、例のスーツ群からグリーンのものをピックアップしていましたが、直前に「やっぱりロングスカートの方がいい」と思いついたのでハイウエストのシャンタンのスカートに黒いベロアのカットソー&スーツのジャケットだけという組み合わせに決定(これは正解だったと思う……会場でかさぶたはがしちゃって足から出血してしまったので)。 最初は電車で会場まで行くつもりでしたが、仮装の荷物が結構嵩張るので実家の車を借りて出発しました。
人前式の式はつつがなく終了し、寒風吹きすさぶ中のフラワーシャワー、ブーケトスも終了(と思ったら、ブーケトスに気合いを入れすぎた琴音氏(新婦)のドレスの肩の糸が切れてしまうトラブルがあったらしいです(^^;)、そうこうするうちに披露宴からの参加者も集まり始めて舞台は宴会場へ。 まずは式と同じドレス&スーツ姿の新郎新婦が入場し、料理も次々運ばれ、和やかに宴が進みました。
中盤にいったん主役が退席、再入場のアナウンスがあって場内が暗くなり、みんなの視線が入場扉に集中した次の瞬間。 そこに立っていたのはごつい肩をむき出しにしたイブニングドレス姿に白い羽根マフラーを羽織った背の高い「新婦」と、雰囲気こそ新郎に通じるものの、明らかに身長が低く中性的な「新郎」。 ……新郎の友人(男性)と、新郎の妹さん(もちろん女性)による余興でした(^^; 場内は大笑いの渦。 そのまま2人は場内を一周して高砂席に着き、司会のインタビューを受けたりしています。
そうこうするうちに、再びアナウンスで「今度こそ本物」と再入場してきた新郎新婦……新郎、米海軍大佐の一級礼装(らしい)です。 腰にはちゃんとサーベルまで。 新婦は大航海時代調の白いドレスと帽子、手にはパラソルを持っています。 2人はドラジェサービスと記念撮影をしつつ、各テーブルをまわっていきます。 わたしたちの座っていた新郎友人席は一番最後だったのですが、待っている間に同席の誰だったかの発案により、「2人がまわってきたら立ち上がって整列、S氏の「大佐、ご結婚おめでとうございます!」との号令に合わせて敬礼をする」という突発的余興が発生しました。 最初はわたしは座ってていいと言われましたが、一人で座っているのも間抜けだし逆に目立ってイヤなので、みんなの後ろにまわってこっそり参加。 父母世代の親戚のみなさんとか、昨今の世界情勢に敏感な人はちょっと不快かもな〜、と、認識しつつも、新郎は面白がってくれる可能性が高い(彼のお色直しの衣装は自前)ので。 ケーキ入刀もサーベルでやっちゃうような人ですからね。
披露宴のあと、2次会の準備で2、3足りないものを探しに近所のコンビニ巡りなどしてから更衣室になっているホテルの一室へ向かいます。 当たり前ながら更衣室は男女別だったのですが、わたしがたどり着いたとき男性陣は既にほとんど着替えが終わっていたし、R氏の荷物と自分のものを分けて女子更衣室に運ぶのも面倒だったのでバスルームを占拠して着替えさせてもらっちゃいました。 今回本当はメイドでもやろうかと思ってましたが、R氏にネタを取られてしまったのでわたしはパンジャビドレスです(あとで考えてみたらasa氏が米海軍大佐礼装のまま2次会に参加していたので、見方によっちゃ危険な組み合わせだったかも)。 直前までグリーンのミラーワーク入りの七分袖タイプを着ようと思ってましたが、当日かなり寒かったので大学の卒業式で着たやや厚手の黒地に金茶系で刺繍の入ったものを持っていきました。 この黒パンジャビにはドゥパタ(肩に掛けるショール)がついていないので、上海で買ってもらったパシュミナのストールを組み合わせてみたらちょうどいい感じの色味でした。
さて。 そんなわけで(?)R氏の仮装は「メイドさん」だったわけです。 しかも「猫耳」で「巨乳」。 詳細は以下略ってことで。 当日参加していた某漫画家さんは何か非常にインスピレーションを刺激されたらしく、「ネタにする」と叫んでいらっしゃいましたから、そのうちどっかに出現するのかもしれません。
2次会はゲームなども交えつつ和やかに進み、6時くらい(前だったかも)にお開きになりました。 たむ男氏を送ってからR氏の実家にちょっと寄っていったん帰宅。 猫のご飯などを片づけてから渋谷のパセラに出かけて2時間ほど遊んで帰ってきました。 朝から晩までよく遊び回った一日でありますよ。
2003/03/23 (Sun.) まあ、いいか。
昨日のはっきりしない空模様から一変して、真っ青な空の下のお墓参り。 怪我の功名といいますか、一日ずらして正解でした(ちゃんと反省はしてますけどね)。
お墓参りをささっと済ませて、お昼の時間までまだ間があったので浅草寺に遊びに。 仲見世をざっとひやかしてお参り。 ハッカパイプの詰め替え用と観音鈴を買いました。 30分ほど遊んでからお昼の予約を入れてある中華料理屋さんへ。 メインは「鯉のフライ野菜あんかけ」で、これだけは予約してあって他のメニューを適当に頼んで頂きました。 鯉はパリパリサクサクに揚がっていて、大きな中骨以外全部食べられました。 美味しかったです(^^)
R氏実家に戻って買ってきたおやつ(仲見世で買った人形焼きから梅園の甘味、帰りに寄ったピエール・エルメのケーキなどいろいろ買ってた)でお茶を頂いてから、車を借りてLOFTに出かけました。 うちの会社で必要な機材の調達が主目的だったので売り場に直行して、さっさと発注して、他に特に用が思い出せないのでLOFTを出てドライブでも……となったのですが、あとで考えたらお風呂のゴム栓を買わなくちゃならなかったのでした。 <前にいちど買ってきたんだけど、サイズが思いっきり間違ってて使えないこともないけどひどく使いづらいのです。
青山の遊仙(漢字合ってるかな?)でお茶を飲んだりしつつ都内をうろうろし、また渋谷に戻ってモスでご飯を食べました。
2003/03/24 (Mon.) う〜ん?
なんだか体調がだるだるです。
いいかげん溜まってしまった洗濯物をちょっとずつ撃退中。 久々に豆炭が吐いてくれて、ソファベッドのカバーが被害に遭いました。 毎回のことだけど、吐いた瞬間に尻尾を立ててすっ飛んでくる練炭って……そりゃあノーマルな猫缶は食べさせてもらえないので(っていってもいつもチビノワと途中でこっそり交換して食べてるの知ってるんだけどな〜)、他の猫が吐いたのでも食べてみたいんだろうけど、ご飯自体は普通に毎食あげているのにどうしてあんなに欠食児童のような態度に出るんでしょう。
R氏の動きにつき合って目黒へ。 アンミラへ行ったら、目黒店は今月末で閉店だそうでちょっと驚きました。 そういえば最近目黒店にはあまり行ってないなあとふと思ったり。 いや、出かけるのが遅すぎて目黒店は営業時間外ってことが多いからなのですが(残る3店舗は遅くまでやってるか24時間営業かだから)。 多分同じような事情で目黒店に行かなくなっちゃったお客さんも多いんじゃないかな。 あとたまに遭遇する謎の女性スタッフが怖くてよそへ行っちゃうとか(むにゃむにゃ)。
が〜ん。 イジュームも閉店だそうです。
2003/03/25 (Tue.) あ〜う〜。
生理が大幅に遅れているので嫌な予感はしてたのですが、月頭に大風邪ひいてたので多少遅れる可能性もあるしな〜、と気にしないように努めていたら。
日記用のメモ書きを整理していて、この1週間ほぼ毎日「だるい」「ねむい」と書いているのに気づいてますます嫌な予感がしてきて。
思い切って検査薬買ってきて確認……うわ〜プラスだ(爆)
産婦人科では、胎児がまだ小さすぎて、予定日とか正常かどうかなどははっきり言えないとのことでしたが「いる」のは確からしく。
ということでどうやら妊娠してるみたいです。
わたし以外の人はみんな手放しでめでたいと言うんだろうな……。 こういうこと書くと語弊があるだろうなと思いつつ、正直、自分自身はあまり嬉しいと思えないのですが。 細かく説明するのはとても大変だし、説明をいくら言葉でしてみても、わたしの心情をちゃんと伝えられる自信もないし、それならこんなところに書くもんじゃないけれど。 ……まあ、本気でイヤならこっそりピル飲んでりゃよかったんですけどね。 そうしなかったということはそこまでイヤだったわけではないんだろうけれど。 む〜……やっぱりうまく言葉にまとめられません。
とりあえずまだちょっと憂鬱……。
2003/03/26 (Wed.) よろり。
昨日の延長線でかなり弱っていて、何が何だかはっきりしないまま一日過ぎて行きました。 英語も休んで(一応事情は説明した)、R氏の帰宅を待ってうちの実家にも報告に行ったり。 まだ本当にはっきりしてないので、例によって祖母にはオフレコでお願いします。>関係者
2003/03/27 (Thu.) ふぅ。
会社近くのロシア料理屋でお昼のセット(野菜のボルシチ、ピロシキ、壺焼き)を食べたのですが味はいまいちでした。 壺焼きが油っぽくて粉っぽくて……
体調と精神状態が不安定で、4ページ分しか作業が進まず。
本屋に寄ってから教室へ行って先週の続き。 粘土を掘り出して量ってメモ。 大物の方は失敗したら怖いので今週はいじりませんでした。 今日はちょうど主催の先生が担当する週だったので、事情を話して、長期に休む場合はどうしたらいいか相談(まだしばらくは通えますが、妊娠が正常で順調だったら、11月くらい〜子どもがある程度大きくなるまでは行けないから)。 いったん退会手続きをとって、私物を引き上げて、また時間ができたら再入会するという形になる(その場合は入会料は不要)とのことでした。 わたしで4人目らしいです。
夕食は牛角。 肉は主にR氏が食べて、わたしは自分の頼んだカルビクッパと、R氏の冷麺を半分くらい奪って食べてました。
2003/03/28 (Fri.) はぁ。
近所の喫茶店でサンドイッチ&コーヒーの食事をとってから出社。
仕事をさくさく進めて、キリのいいところまであと一歩、というところで、操作を間違えて復帰させてしまいました……しかも普段は要所要所で保存しておくのに、うっかり忘れていて1時間ちょっとかけていた作業がパァに。 この時点で7時過ぎだったのですが、悔しいしここであきらめて帰っちゃうと来週半端なところから継続する羽目になって面倒なので、気力を振り絞って1時間ちょっとで完成させました。 疲れた……
夕食は三宿の新記で香港麺。 それからいろいろ話しつつ都内ぐるぐるドライブ。 すれ違ったり言いたいことが伝わらなかったりで胃がきりきり。
2003/03/29 (Sat.) なんだこりゃ?
家と回収所を5往復くらいして古紙の束を出しました。 束ねておいた分は全部持っていったつもりで「スッキリした〜」と満足してたのですが、まだ1束残ってました……ちぇ。
それから流しの片づけをして、お湯を沸かしてお茶飲みつつ朝食代わりに柏餅と、プチフールを数個食べて、メールチェックしようとしたら様子が変。 普段なら多くても10通程度の新着なのに、「受信メール数/新着メール数」の表示が「○○通/222通」と、尋常じゃない分量なのです。 しかも初っぱなからウィルスで、チェックしながら受信してみたものの普通のメールは全く現れず十数通立て続けにウィルスなのです。 このまま200通以上ウィルスだったら面倒だな〜と思って一端中止し、プロバイダに連絡したあと、サーバにあるメールの一覧を出してみたら案の定ほとんどがウィルスとおぼしきものだったので削除しました。 間違って普通のメールを巻き添えにしてしまった可能性もあるので、もし昨夜から今朝にかけて、重要なメールを送ったのに返事がないという方がいらっしゃいましたらご一報下さい。
昼近くなってR氏が起きてきたので、食事がてら銀座へ久我通世氏の個展に出かけました。 昨夜借りたままのR氏実家の車で出たら、六本木の辺りで車線変更してきた車に後ろ斜め左から追突されました(ケガとかは特にないけど車体のパーツが一部剥落してたり)。 不幸中の幸い(?) 麻布警察署が目と鼻の先だったので警官はすぐ来てくれたし思ったより処理に時間はとられませんでしたが、それでも予定がずれてしまって結局食事は夕方までずれ込みました。 R氏と車に乗ってて事故に遭うのってこれで何度目かな(^^;<基本的にこちらが被害者というシチュエーションのケースばかりですが
今回気に入ったのがあったら1枚買おう、と言っていたのでその気で見て回りました。 ぐるっと回って、心惹かれるものが2枚。 散々迷って南十字星を描いた小さな作品を選んだのですが、通世氏から前に欲しがっていたけど売り切れていた「with fish」の絵を再版している、という情報を得て再び迷い始め……R氏と相談して、2枚お願いしてしまいました(ちなみに「with fish」は、久我氏のサイトの「世界地図より作品紹介」→「ヨット・”ひなの”の航海」と辿るとイメージがみられます)。 最初に迷っていた2枚のうち、大きい方を買った場合を考えたらおおむね許容範囲の出費に収まっていた、というのが決め手です。
個展は4/5まで開催中ですので、興味のある方は是非。
いんでぃらでエビ飯を食べたのが午後3時過ぎ。 それからR氏の実家に行って、夕食をパラサイトして頂いたのが……6時頃? お腹一杯であまり食べられませんでした。 その代わり、というわけではありませんが、夜遅くにR氏が水菜といりこのスープを作ってくれたのを飲みました。
沈みつつも、ちょっとずつ意識を明るい方へ向けようとはしています。 でもほんの些細なことで一気に転げ落ちることも多くて。 本当に些細なんだけどね。 自分の浮き沈みの激しさに疲れます。
2003/03/30 (Sun.) やや浮上。
朝はカフェオレとバームクーヘン。
昨日に引き続きウィルスメールが来てます。 今朝は140通強。 どうやら、朝まとめて発信されてるっぽいです。 1通を除いて全て同じメールアドレスが発信元になっています。 そのアドレスの持ち主が本当に発信元なのか、そして故意に送り出しているのかどうか、その辺はわかりませんけれど、このまま続くようならこちらも動いた方がいいのでしょうか。 対処法は確認済みなのであんまり困りはしないんだけどね。 さて、明日は何通来るのかな〜<楽しみにするなよ……
月華洞の記念ヒットをうっかり踏んでしまった(1つ手前の番号もわたしが踏んだのに、すっかり忘れて数時間後にまた覗きに行ってしまったのです)ので、お返しにこちらからもなにか記念品を……とか考えて、例によってガラスで蓮の帯留めを作ってみたのですが、最近のごたごたで金具をつけ忘れていたので慌てて接着剤を出してきて作業。 さらに、「そのままむき出しで持っていくのはいかがなものか」ということに今朝になって思い当たり、これまた慌てて行き当たりばったりのパッケージをフェルトで縫って詰め込みました。 それを持ってR氏と有明に向かい、HARUコミックシティの会場へ。 既に入場フリーになっていたので入り口のパンフレット閲覧所で目当てのサークルの居場所をチェックしてピンポイントで突撃しました。 じっくり見て歩けば面白い物がいっぱいあったのでしょうけれど、体調的にあまり人混みに長居できそうになかったので、今日はほとんどよそ見はしませんでした。
有明を後にして、遅いお昼をどうしようか? という話になって、前からちょっと気になっていた合羽橋の「どぜう飯田屋」へ行ってみることに。 試しに行ってみて、OKだったら次回は義母も誘おうという魂胆なのですが、心配するまでもなく美味しゅうございました。 2人で○鍋4枚、柳川1枚、どぜう汁にご飯にお新香をぺろりと食べてしまいました。 駒形に比べてドジョウが大きめだからか、骨が多少口に当たりますが、身はとろとろに柔らかいし骨も気をつけて食べれば問題ない柔らかさです。 また、駒形は床に長い板が敷かれて机代わりになっていますが、飯田屋は座卓でした。 駒形の座敷では子どもがちょっと危険なんだけど、こちらなら大丈夫かもしれません。
R氏の買い物で新宿に寄ってから、ダイクへ行って蓮の植え替えに必要な備品をいくつか調達、ついでに隣の紀ノ国屋で買い物をちょっとして、家に帰ってきたときにはすっかり夜でした。
時間があくといろいろぐるぐる考えています。 悪気ない言葉が人をどれほど傷つけるかということ、思わぬ言葉ですごいダメージを受ける場合もあるんだということについて。 それは、わたし自身も日頃忘れがちだけど、忘れないようにしたいと思います。
◆絵日記:ぐるぐる◆ | |
いろんなことが次々起きて頭がぐるぐる。 |
2003/03/31 (Mon.) えらい目に遭った日(スプラッタ苦手な人は読まないように)。
例の大量ウィルスメールは来ませんでした(単発のは来てたけど)。
一昨日の夜くらいから、ほんのちょっぴりだけど血のようなおりものが出ていて、最初はかすかに赤茶色っぽいかな? という程度だったのが徐々にはっきりしてきて気になるので、朝一番に産婦人科へ行きました。 尿検査と問診のあと、今の時期に唯一処方できるという、子宮の収縮を押さえる薬を処方され、さらに「しばらく仕事はしないで安静にしてなさい」と厳命されてしまいました。 「ええっ、でも今日は洗濯をしないと……」「1日や2日しなくても大丈夫」「明日は会社もあるし」「診断書が必要なら書くから休みなさい」「いや、診断書があってもなくても休めるような状態じゃないんですが……」「いいから休んで寝てなさい」の押し問答。
言ったら絶対怒られるから言わなかったけど、蓮の植え替え準備もしなくちゃならないのに(しゃがみ込んで2〜30kgはある泥の塊をこね回し、さらに10kgくらいあってもおかしくない陶器の鉢を抱えて右往左往するのは、妊娠初期の人間がやっていい作業ではないってことはわたしにもわかります)……と悩みつつ、あきらめてひたすら家で寝ていたのですが。
食事をとったり猫にご飯をやったりする以外はずっと寝たまま夕方になり、H氏&A氏&R氏と4人で近所のデニーズに夕食に出かけて、戻ってきた辺りから体調がさらにおかしくなり始めました。 腰が妙に痛くて、おりものの血色が心なしか増えた気がします。 とりあえず他の人に失礼して先に寝てしまおうと寝室へ籠もったのですが、腰が痛くて眠れません。 そうこうするうちに、トイレに立ったら生理のような真っ赤な血が出始めていました。 さすがにこれは尋常じゃないと感じたのでR氏に相談して、救急車を呼んでもらって近場の救急で産婦人科医の居る病院へ行ったのですが。
検査の結果、どうも既に流産しているらしい(この時点では「進行流産」と診断されてましたが、あとの説明を聞いた感じではちょっと違う気もします)と言われました。 このまま放置すると母体に悪影響が出るので取り出しさなくてはならないとのこと。 その場で手術を受けて、一晩入院することになりました。
手術自体は別に切開するわけでもないので15分ほどで終わったのですが……術前の点滴用の針を入れるのも痛かったけど(わたしは太っているので腕の血管が見つかりにくくて一度失敗、わかりやすい手の甲から針を入れてもらった)、術中が痛い痛い……この程度、出産に比べたら屁でもないのでしょうけど、痛みに弱いと自他共に認めるわたしにはきつかったです。 (男性には想像つかないかもしれないけど、生理中に柄長スプーンを突っ込んでかき回して中味を引っ張り出されるような感じ……(^^;) R氏は除去したモノを見せてもらったらしいのですが、わたしは麻酔と痛み(麻酔してても痛かった)でぼ〜っとしていて見逃してしまったのがちょっと残念だったなあ。
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