ポカラ滞在2日目、午前中ペワ湖でボートに乗ったりトイレで途方にくれたりしつつバスで戻り、お昼を頂いたあとぼーっとしてました。 D氏の奥さんの親戚(知人? 会った人の関係がいまいちわからないまますごしてきてしまったので正確なところは不明ですが、お世話になった親戚宅と同じ名字でした)P氏がやってきて、「ポカラを案内するから来なさい」と言うので、外に出るとそこにはバイクが。 スクーターではないけれどかなり小さいバイクです。 スパッツをはいてるとはいえ、スカートでまたがるのにはかなり抵抗があります。 ネパールの女性はサリー姿で器用に横座りしていますが、わたしは横座りする自信はありません。 ヘルメットもないし(これが一番怖かった)……と思ってしばらく躊躇したけれど、せっかく案内してくれるのだし、意を決して乗りました。

↑崖崩れ
 この日はポカラ北部の観光地(マヘンドラ・グッファという洞窟とペタレ・チャンゴという地面にあいた大穴の滝、サランコットの丘の途中まで……崖崩れで途中までしかのぼれなかった……など)と、何故か大学を案内してくれました。 どうやらわたしが大学生だという話が伝わってたせいらしいです。 大学といっても、門の前に止まって「ここがメディカルカレッジだよ」とか「ここはフィジカルサイエンスだ」とか説明してくれるだけなので、どこへ行ったのか思い出そうとしてもぜんぜん覚えていません。 それに走ってるときはつかまってるのに必死で、あんまり周りを見る余裕がないし、下手に周りを見ると怖いから見てなかったし、地図でどの辺を走ってたのか確認しようにもぜんぜんわからないのです。


↑朝、屋上からみえたマチャプチャレ
「魚の尾」という意味の名前の山だけど、この角度ではどちらかというと「魚の口」に見えるような……
 そして翌日、午後にはカトマンドゥに戻るので、もう遠出はないだろうと思ってのんびりしていたら、いきなりまたP氏があらわれました。 飛行機の時間を尋ね、しばらく考えて「まだ時間がある。昨日はポカラの北部しか見せられなかったから、南も見に行こう」と言い出します。 実のところポカラのほとんど英語(日本語が片言でもわかるのはD氏の奥さんだけで、彼女も英語の方が意思疎通しやすい)だけの環境&トイレ騒動&市内引き回しで疲れ果てていたのですが、好意を無碍にもできず、とにかく振り落とされないように必死でつかまって出発しました。 南は見てないと言っても、ペワ湖にボートに乗りに行ったときに多少回ってたんですけどね。

 そうこうするうちに「あそこに昨日見た大学の先生をしてる知り合いの家があるから、寄ってお茶を飲んでから帰ろう」と、いきなり民家訪問。 わたしがインド・ネパールの文化を専攻していたという話から、「ネパールには何度来てるの?」「インドには?」「卒論は?」「今のネパールをどう思うか?」「日本はどんな国か?」などなど、もちろん全て英語で聞かれて英語で答えるので、疲れ果てて、ついには涙が出てきてしまいました。
 当然P氏とご主人はびっくりして「どうしたどうした?」と言います。 「大丈夫、ちょっと疲れているだけです」「旅行に出るとよくおなかを壊すんです」と答えましたが、実のところストレスが限界を超えて爆発したのでした。

 相手の質問は全て理解できるのです。 すごくわかりやすい英語で尋ねてくれるから。 でも、答えようと思うと自分の英作文能力ではぜんぜん返事ができないのです。 落ち着いて考えればたいしたことではないフレーズさえ出てこなくて、どんどん自己嫌悪に陥ります。 しかも「日本はどんな国?」なんて、日本語で聞かれても答えにくい質問を英語で答えようと思ったら……。


8.再びカトマンドゥへ

8.未定(工事中)

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