せりふの時代

 
「感じることと伝えること」
 
戯曲に向かう前に
 
——いちばん最初に戯曲を読む時に、何か伊藤さん流の決まり事はありますか。
伊藤 まず、仕事部屋の大掃除をします(笑)。素直に言葉が入ってくる環境を整えてから、台本に向かうんです。パソコンの前が私の定席なんですけど、そこに座って、クラシック音楽をかけて読み始めるんです。とにかく、クリーンな気持ちで台本に向かいたいんですね。同じ部屋で舞台模型も作りますので、何作か同時進行で手がけていたりすると、部屋の中はえらいことになります。だから、まず大掃除をしてリセットしないと、いろんな世界が頭の中で混ざってしまうんです。
——クラシックはどんな曲を?
伊藤 映画『戦場のピアニスト』のサントラをかけることが多いです。ショパンですね。私自身、昔クラシック音楽をやっていましたので、それがいちばん、素直な気持ちになれるんです。
——戯曲を読む環境と、心の準備を整えるんですね。そして実際に読み進める時には、どんなことを心がけていますか。
伊藤 最初は、ザーッと通して読むことが多いですね。具体的な細部よりも、全体の〈空気感〉をざっくり捉えるように読みます。この空気は温かいのか、寒いのか、柔らかいのか、硬いのか。何度も読み返すうちに、頭の中に「こんな感じかな?」というイメージが浮かんできます。
——伊藤さんは、抽象的な美術を手掛けることが多いですが、戯曲の中から、どのようにして抽象的なイメージを引き出すのでしょうか。
伊藤 最初の段階では、わりと戯曲に書かれている通りに、リアルにデザインを考えようとするんです。ところが、戯曲というのは、読み込むほどに、別のイメージが広がったり、心にひっかかる箇所が違ってきたりするんですよ。「この前はこう感じたけれど、今日は違う見え方だ」と、そういう発見をした瞬間というのは、心拍数が上がる感じがします。
 それから、私は装置を考える時に、引き算で考えるんですね。余計なものを省いていく。省いていくと最後に、ここだけは残したい! という一点が必ずあります。それが抽象化するということだと思います。残したその一点がしっかり腑に落ちて、それを模型に起こしていく段階が、創作のピークかもしれません。
——省くものと残すものの、基準や物差しはありますか。
伊藤 ええと……、直感、だと思います(笑)。演出家やカンパニーから褒めていただいたり、自分でも満足できる仕上がりになった作品は、不思議と、感覚主導で作ったものが多いんです。
 舞台美術というのは、お客さんが席についてから開演するまでの、短い時間にかかっていると思うんです。これからここで、どんな劇世界が展開するのかを、その時間内にどれだけ感じ、想像していただけるか、それが勝負だと思っています。だとすると、「考えること」よりも「感じること」を軸に据えるというのは、舞台美術家のあり方としては、間違ったことではないんじゃないかなと思っています。
 
伝える術をもつために
 
——具体的に、省いていく過程を教えていただけますか。
伊藤 たとえば、MODE公演『場所と思い出』(別役実作、松本修演出)の初演は、背景を一枚の絵にしたんです。別役作品には必須と言われる、ポストや電信柱さえも絵にしてしまいました。本当に存在しているのかどうかも分からない、砂漠のように風化して壊れた風景。そんな世界に、大人が紛れ込んで遊んでいる。私はそういうイメージをもったので、思いきって全部、絵にしてしまいました。
——別役作品の場合、リアルな電信柱が主流ですよね。
伊藤 あえてそれと闘いたいという気持ちもありました。美術の打ち合わせの時にいきなり、「別役作品だから、まず電信柱は決まりでしょ」みたいな話になったんですよ。私にとっては別役さんの作品はそれが初めてでしたから、思わず「なぜ?」と言ってしまいました。ポストも電信柱も、特に芝居には絡んではこないし、ただ「遠くの風景」として存在すればいいんじゃないかなあと。演出の松本さんにそう言ったら、一瞬「えっ」っておっしゃいましたけど(笑)。
——でも、今年4月の再演(松本修演出、兵庫県立ピッコロ劇団公演)では、立体的な電信柱が。
伊藤 はい。ポストも電信柱も、戯曲のうえでは芝居に絡んでいなくても、実際にモノがあると、役者は使うんですよね。電信柱の後ろに隠れたり、ポストに手紙を入れてみたり。そういうのを見ていると……、やっぱり、なくしたくなっちゃうんですけど(笑)。
——いじわるですね(笑)。2005年には伊藤熹朔新人賞を受賞し、期待の若手としてたいへんご活躍の伊藤さんですが、仕事をしていくうえで、今いちばんの課題はなんですか。
伊藤 課題はたくさんあるんですけれど、いちばんは「思いの伝え方」ですね。先ほどもお話ししたように、私は「感じること」を主軸に作ってきたんですね。でも、海外で仕事をさせていただいて、自分には、感じたことを伝える術がないことを痛感したんです。だから今は、伝える手段を模索中なんです。
 私は理屈で説明することが苦手なので、ちゃんと言葉で説明する訓練もしていかなければと思っているんです。舞台美術を作るというのは、一人で創作する芸術とは違いますから、演出家や劇作家の方たちときちんとコミュニケーションがとれなければ、いい作品は生み出せません。他のスタッフたちとどれだけ理解し合えるかが、すべて作品に反映されますからね。新しいスタッフと組む時は、より慎重になります。もっと自分の考えを伝えられるように、言葉でも表現できるようにしたいです。そのために、プランを見せる前日に、一人でプラン説明の練習をしたりしています(笑)。質問されそうなことを想定して、それに対する答を考えてみたりとか。でもたいていの場合、想定外の質問がきますので、「え、そこか!?」ってなっちゃうんですけど(笑)。
 そしてプランが決定したら、今度は、装置を実際に作ってくれる大道具の方たちに、プランナーである私が、その意図を伝えなければなりません。大道具作りの会社へ行って、切々と説明するんです。この作品はこれこれこうで、こういう世界を描きたい作品なので、ここの素材は絶対にこういうものでなくてはいけないんです、予算がなくて大変なのは分かりますけど、そこをどうか……みたいなことを伝えるんです。いつも熱く力説していますけど、やっぱりそれも、大切なのは言葉なんですね。意図や思いを十分に伝えられるようになりたい、というのがいちばんの課題ですね。
——伊藤さんの、演劇に対する愛情が伝わってくるお話ですね。
伊藤 もちろん自分の世界観を表現したいという気持ちもありますけれど、それ以上に、舞台に立つ役者が気持ちよくいられる空間を作りたいという思いのほうが強いですね。芝居が好きなんですよ。
——最後に、今の演劇界について、感じていることがあれば聞かせてください。
伊藤 もっと冒険してほしいなと思います。日本にはこれだけたくさんの芝居があるのに、スタッフもキャストも、似たような顔ぶれの舞台が多いと思うんです。名の通った方たちに頼むほうが、安心なのは分かります。でも、冒険なくして、何が演劇だろうと思うんです。無名でも、いい仕事をしている人はたくさんいますし、個性的な若い美術家もたくさんいます。演劇界は、そういう作り手たちが報われる世界であってほしいと思います。
 同時に、演劇を志す人たちも、「これは遊びじゃない、この世界でプロになるんだ!」という強い覚悟をもって取り組んでほしいです。そうやって演劇界全体の意識を変えない限り、状況は何も変わらない気がしますね。
 

小学館「せりふの時代」2007年秋号掲載
取材・文/小川志津子