支倉さんは、私が入社した当時は品質管理課の課長さんでした。
いつもベレー帽をかぶり黒ぶちの眼鏡をかけてとてもモダンな方でした。登山が大好きで、色々な
山の話をしてくださり、いつもワクワクしながら聞いた事を思い出します。
登山家の三浦雄一郎さんとスキーをしたことが
あると、話しておられました。 |
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支倉さんから毎年頂く年賀状は、ご自身のスケッチされた絵がプリントされたものです。 いつも大変楽しみに拝見しています。 |
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平成23年の年賀状《洋上からの金華山》です。 文面もご紹介しましょう。・・・・・ ==================== メキシコ提督 ビスカイノ、通訳 ルイス・ソチロ。 メキシコ船大工40人。侍数人、商人たち総員180人を サン・ファン・バウティスタ号に乗せた支倉常長は、慶長18年(1613)9月15日早朝満潮に乗り、 牡鹿郡月の浦を出帆。メキシコのアカプルコへの道へ、さらにローマへの道へと。仙台港から太平洋 の 大海原へと乗り出し、常長はじめ180名は、遠ざかりゆく金華山をいつまでも、いつまでも見ていたこと だったろう。 今から24年ほど前、北海道からの帰路、苫小牧港から仙台港への船旅の折に、“仙台港入港”のアナウンスに 甲板に出て目の前に見えた金華山を急いでスケッチしたものです。 東洋刃物勤務当時、会社の夏休みに金華山の頂上の凹に、独り寝ころんだこともあった。・・・・ |
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平成19年の年賀状 文面もご紹介しましょう。・・・・・ ==================== 《元朝や 野武士然たる 大東岳》 シギ、チドリ、アジサシなど渡り鳥の休憩干潟で有名な仙台市宮城野区 中野字蒲生沖、太平洋の水平線から昇った2007年初日に、その頂を染めた 1365mの大東岳。その里山の太白山や藩山を従えてすっくと聳えている。 |
支倉さんのお住まいは仙台市宮城野区です。 |
石巻市には、常長達、使節団を乗せた木造船“サン・ファン・バウティスタ号”の復元船が係留されている
博物館があります。 |
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